町おこしと1つのお店

ベルンです。

東京の「台風一過」は突然やって来ました。
月曜日の午前中、わたしは外出の予定があり、ヤキモキする思いで窓から外の天気を窺っていたのです。
ところが、あれほど激しかった雨風がウソのように止み、何と11時40分頃には一気に青空が広がってくれました。
今日は1年ほど前に知り合った方に久しぶりに会いにいく予定があったので、予定通り丸の内へと向かいました。

その方は丸の内の一等地で会員制カフェラウンジを営み、そこでオーナーとして働く傍ら、様々なプロジェクトに携わる売れっ子のM氏。
町おこしで全国を飛び回り、業界内ではかなり名の通った方でもあるのです。
今日地方から帰ってこられて、また明日にはどこかへ飛んでいってしまうとのことで、今日ランチをセッティングさせていただいたというわけです。

M氏いわく、町おこしは10年単位で見る仕事だそうで、全くのゼロから、10に、そして100にと発展させていく仕事。
今これだけ世界が狭くなっている中で何よりも大切なのは、その町の特色を活かした町づくり。

ここ近年、どこの駅に降りても駅前の顔はどこも同じになってしまいました。
このままどんどんつまらない町ばかりが大量生産され、味のない国になっていくのかと想像するのが怖くなります。

そんな町が増える中で、町づくりの成功例として今日あげていただいたのが代官山でした。
代官山駅の辺り一帯には、有名なファストフード店が何ひとつないそうです。わたしもよく行くエリアですが、確かに見当たりません。
強いて言えば、町の外れにサブウェイが1店舗あるだけで、後は地域に根付いたオンリーワンのお店しかありません。
代官山のような町は町づくりの1つの成功例で、これからの町づくりとしては、どのようにして1つ1つの町に色を持たせていくのか、ということが大切なのだと改めて感じました。
いや、色を持たせていくというと語弊があるかもしれません。元々あった町の特色を消さずに、なおかつ経済的にも発展させていかなければならない、というとても難しいミッションでしょう。

わたしは毎回ヨーロッパに行くたびに感じていた空気感が、なぜ日本では感じることができないのだろうと思っていたときがありましたが、それは、西洋では町づくりということがほとんどの町で当たり前のように行われているからなんだと気がつきました。
ロンドンやミラノのような金融街は除き、イタリアで言えばフィレンツェは素晴らしい町だと行くたびに感動します。
あの町には、イタリアに数店舗あるというような店の方が少なく、ほとんどの店がフィレンツェで始まり、フィレンツェに根を生やし、フィレンツェの「顔」になっているようなお店ばかりです。
何もない一本道なんだけど、道の端にイタリア随一のセレクトショップがある。
そのため、その道には人が行き交い、結果その道に色が出ます。
そういった町の色を強く残していくためには、いい意味で排他的な側面をもつ必要があるのでしょう。

町づくりというとどうも大きなプロジェクトのように感じてしまいますが(事実大きいのですが)、実はそういった1つ1つのプライドと信念を貫いた小さなお店が集まり集まった集合体の結果、町が盛んになっていくというシンプルな話なのかもしれません。

はじめに目黒通りに家具屋を出店した人はどんな思いでそこに出したんだろう!?
とM氏は言っていました。

確かに、裏原宿は1993年にオープンしたアンダーカバーの高橋盾とAPEのNIGOが出したショップ「Nowhere」から始まったと言われています。

何事も始めるときは、そんなとこに店出して、、いったい誰が来るんだと揶揄されるものです。
成熟しきった町にお店を出してもそれはお客様の獲得には繋がりますが、その店は歴史にはならないでしょう。

町づくりとは、町を作るとともに、歴史を作っていく行為なのだと感じました。
わたしも今、東京中の町を見ながら、その町の顔になりたいと思える町に出会えないかと日々探索しています。
そんな町に出会ったら、きっと今の赤坂のお店から移り住むことになるかもしれません。

人生をかけて、この町を元気にしていきたいと思える人や町に出会えるのか。
それはわたしの仕事や人生の純度次第で、引き寄せるものはかわってくるはずです。
全てを用意した上で、後は天命を待つ。
最高の運をたぐり寄せるためには、最高の努力をしなくてはいけないと知り、また日々精進できそうです。

ベルンでした!

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