風の流れに身を任せ


BERUNです。

明けましておめでとうございます!
昨年は本当にお世話になりました。

本年もよろしくお願いいたします。

昨年は2月にコロナが広がり始め、一時はどうなることかと思いましたが、予想に反して秋からは多くの方にお越しいただきました。このようなご時世だからこそ、洋服の力、大切さを感じた1年でした。

ブレイシーズが揃いました

早速ですが、年末、頼んでいたブレイシーズが英国から届きました。

左から、ネイビーメルトン、ネイビーモアレ、ワインレッドモアレ、イエロータッターソール。各2,3本ずつあります。

そして個人的にとても気に入っているこちらは、車が刺繍されているものです。見せないお洒落だからこそ、こういうセンスもありですね。わたしが欲しい。。笑

スーツは国民服から特別な服へと昇華する

世界に名だたる日本のファストファッション某U社の社長が、とある日の日経新聞で、「スーツの時代は終わった」と語っていました。

この意見は一理はありますが、全てが正解というわけではないとわたしは思います。
まず、以前にも書いていますが、国民総人口スーツを着なくてはいけないという時代は終わることは間違いありません。まぁ、そもそもスーツを制服のように着ていたのは世界中見ても日本だけだったので、なくなっても不思議な話ではありません。
しかし、そのスーツがなくなると言っている当のご本人は、会議や大切な商談のとき、スーツを着ずにカジュアル服でいるということはないと思います。

その方が言っているのは、スーツをビジネスとして見たとき、大きな勝算はもうないから終わった。と言っているだけで、スーツ自体は何も終わっておらず、むしろこれからが本当にスーツを昇華させていくにふさわしい時代になるとわたしは思っています。(何万倍も小さな個人店が言っている戯言ですが)

スーツは必要とされているときに着る、というよう特別な服になっていくでしょう。むやみやたらと、とりあえずスーツを着ればいい時代から、スーツが必要なシーンだから着る、という選択をする時代になります。

物を持たないことが賞賛されている世の中ですが、スーツが不要、制服も不要、家も車も不要。という不必要だと思われるものは全て排除していくというのは、なんともアメリカナイズされた考え方です。

自分の人生の中では何が必要か、じっくり考えてみると、何もかも手放すのが得策ではないことがわかります。

シェアの時代

2020年は地の時代が終わり、風の時代に入るという話はもうすでに聞いたことのある方もいるかと思います。スピリチュアルにはあまり耳を傾けない私ですが、この話はとても信憑性が高いので、時代の変化を感じていこうと思います。
物質的な200年が終わり、これからはより感覚的なものを求められる時代になっていきます。所有ではなく、シェアの時代です。

わたしはここで、持つものの数が少なくなるから、良い物を少なく持とう!という既に世に出回っていることを言いたいわけではありません。
もし、今持っているものに少しでも愛着を感じられなくなったら、それは持ち続けるのではなく、シェアしていくというのがこれからの時代に相応しいのではないかと思うのです。

しかし、BESPOKEはセカンドハンド(古着)に出すことができません。
それができないのが日本では欠点のように思われていましたが、これからの時代、そのビスポークという他には表現できないモノだからこそ、自分の知っている人に譲る、託す、という流れを取り入れてみてもいいのではないかと思うのです。

わたしは物を持っている意味は、それを持っている間、ずっと気持ちが高揚する状態が続いていることだと思っています。
つまり、その気持ち良さが少しでも感じられなくなってきたら、自分の感覚が成長したのだと思い、手放すときなのかもしれないのです。

実は、わたしが2013年以前に自分用に仕立てたものは、もう自分が着たいと思えるものはほとんどありません。それは当時の生地のチョイスであったり、フィッティングの好みが変わっているからです。

既成服でも同じことがいえます。
わたしが数年前に買った洋服は、今のわたしが着たいサイズ感ではなくなりました。身体が大きくなったわけではなく、自分の感覚が変わってきて、もう少しゆったり着たいなという気持ちの変化によるものです。

この気持ちの変化というのは、わたしはあるべきものだと思います。むしろ、10年も20年も同じものを着続けていることは、よほどなんかかしらのストーリーがなくては、その人の成長を感じられません。
(親族の形見、または両親からもらったトレンチコートやタキシード、それらに勝るブランドはありません)

一生ものという言葉のマジック

ここまで話すと、一生ものという言葉が、本当に自分のためにとっていい言葉なのか、と疑問に思い始めてきます。この一生ものという言葉に縛られてしまい、自分の感覚を抑えこんでしまってはいないか。

この言葉は、ものが少ない時代にはとても重宝しました。しかし今は物あまりの時代です。一つのものに固執するのではなく、自分の感覚の流れに身を任せるのがいいと思います。
わたしは最近、若いお客様にツイードジャケットをお渡しするとき、このように伝えています。

「このジャケットがダメになるか、自分が飽きるかで言えば、後者の方が早いと思います。」

これを作り手がいうのはいかがなものでしょうか。笑
もちろんこのブログを読んでいただいている方か、わたしを知っている方であれば、それが数年で終わるものではないというのは感じていただけると思います。

一生ものといった方がお客様にはもちろんよりぐっとくるでしょう。実際、着方を間違えなければ、一生着ることはできます。
ですが、わたし自身の創業当時からの感覚の変化を自分なりに落とし込んでみたとき、一生ものといっていいのは、自分自身の生き方、感覚が達観した方が、
「もう自分はこれで良いんだ。That’s All!!」
と言い切れるときにしか、使える言葉ではないのかもしれないと感じ始めました。

自分の想いのこもった大切な物や洋服がもし、今の自分の感覚にもう追いついていないことを感じていたら、それは自分の信頼のおける後輩や部下で、体型の近い人に譲る(託す)といいでしょう。

そう回り回って、一生ものとなっていくなら、その洋服も本望だと思います。

年始早々、軽く書き始めたつもりが結構コッテリした文章になってしまいました。笑

こんな暑苦しい店ですが、今年もよろしくお願いいたします。

-Atelier BERUN-
東京神楽坂のビスポークテーラー

東京都神楽坂6-73-15
メゾンドガーデニア301

http://berun.jp/
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