単純と平凡

BERUNです。

関西旅行記後編。
前回、1週間経たずにあげると言っておりましたが、できませんでした。。
大口叩いてすみません笑

今回、神戸に来た理由の一つは、今神戸ゆかりの美術館で開催されている白州次郎展に行きたかったというのがあります。

次郎さんが当時乗っていた自動車の展示がされていたり、白州家が使っていたものなどが見ることができて、彼らの美意識の高さに酔いしれることができます。

今夏、次郎さんはもちろんですが、正子さんの本の中の一文が展示内に抜粋されていまして、それがとても心に響きました。

わたしの好みは、単純と平凡に尽きる。
中略、
良き細工は、少し鈍き刀を使う

日本を含め、世界中の美を見てきた正子さんが行き着いたのが、単純と平凡というスタイル。
時代が常に進化を遂げていて、便利に、快適に、無駄がない世の中になっていくのを、きっと寂しく思っていたのではないでしょうか。

まぁ、その単純、平凡に行き着くまでに、どれだけ回り道をしてきたか、というのが深みになるわけで。それにはお金も時間もかかるので、だからこそたくさん回り道をした人の話というのは説得力がありますね。

わたしはクラシックという一本軸を持ちながら、良いものに触れ続けて、見続けて、単純と平凡をわたしなりに磨き続けていきたいです。

白州次郎という男は、
時代と家系と生まれ持った人間性。
すべてのピースが重なり、たまたま次郎さんが必要とされていた時代に生まれた。
そして、彼は全力で生き切った。

最近は終戦の日が近かったため、色々なメディアで終戦時の話が取り上げられています。
どのメディアにもあまりクローズアップされない白州次郎ですが、今の日本のルールの取り決めに全神経を研ぎ澄ませて取り組んだ人の1人でもあります。

彼の努力は「占領を背負った男」という本にて詳しく書いております。名著です。

彼が今の時代を見ると、プリンシプルがない。と嘆くことでしょう。

どなりつけるおっちゃんがいなくなった今の日本。それは無干渉で人との繋がりがなくなった日本の現状でもあります。

立て直す必要は大いにあるとわたしは思うのです。

ヨドコウ迎賓館

神戸のヨドコウ迎賓館にも行ってきました。
こちらは兼ねてから行ってみたい場所であったので、ついに行ける!と楽しみにしていました。

フランクロイドライト建築。天然素材のみを用い、時代を超えても評価され続ける彼の作品には、一貫している哲学があります。


モノづくりの人にとって、この作品は彼が作ったものだ!と一目でわかってもらえるものを作れるということはとても嬉しいことです。
しかし、飽きられるモノではなく、常に新鮮さがあるもの。
そこを天秤にかけることがとてもセンスのいるところで、毎度毎度同じものばかりではいけないのです。
進化を遂げながら、マイスタイルを築き上げていくということを、目まぐるしい時代の変化で走り続けなくてはいけません。

縁で生きる

突然の話ですが、わたしは人は縁で生きていると思っておりまして、旅行先のお店が閉まっていれば、縁がなかったなと思いますし、その逆もしかりで、海外からのコンテナ便が今日入荷したんです!なんていうときは、おおーこのお店とは縁があるなと思います。

人の繋がりもそうで、たまたま今日空いた時間があり、その時間にたまたま当日、行ってもいいですか?と連絡があるときは、縁があるなぁと思います。

そこに一喜一憂するのではなく、ただ起きた物事に、縁があればよかったと思いますし、そうでなければ、縁がなかったと思うだけなので、物事をシンプルに考えることができるようになります。

これは以前聞いた話ですが、輪廻転生の話で言えば、電車の中で隣に座る人。袖を擦るほど近い場所ですれ違う人。そういう人はもしかしたら前世やもっと昔に、親戚や、家族だったのかもしれない。
車の前を走っている人や、レジの前にいる人。

70億人いる中で、たまたま隣に来る人、これはもう偶然ではないのではないか。
そう思ってみると、なんだか全ての人が愛おしく思えてきます。

これはスピリチュアルな話でもなんでもなくて、ただの想像です。
ですが、その想像に浸ることで、穏やかな気持ちでいられるのでしたら、浸ってみてもいいとわたしは思います。
もともと人間はそのように見えないものの力を借りてきて今があるわけで、物質に重きを置くようになったのはここ数100年の話です。

部屋の中に入ってきた虫、もしかしたら、前世では恋人だったかもしれない笑
そう思うと、殺生せず、ゆっくり外に出してあげるようになれる気持ちも芽生えるかもしれません。(虫が苦手な私が言う話ではありませんが笑)

話は脱線しました。

美意識を高める最大の理由

美しいものを美しいといえる人になることは、自身にとってどのような価値があるのでしょうか。

例えば、100均で売られているコップがあります。コップとしての役割はそれで十分です。
対して、職人が薄いガラスに手彫りで模様を入れているものがあるとします。
これが10万円だとしましょう。
世の中のほとんどの人が、こんなコップなんかに10万円払う価値がない、と思うでしょう。
世の中の99%はそう思うかもしれません。

しかし、世の中は常に1%の人が価値を創造し、物事を動かしてきています。
美意識を高めることで、これには10万円の価値がある!!!美しい!!と感じることができるようになるのです。
その美しさと価値に気付くために、時間もお金もかかるでしょうが、その先には世の中の物事のあらゆる美意識に気付くことができる観点が備わります。
それがわたしは最大の価値だと思うのです。

その美しさに気付くことができる感性が手に入れば、世の中の1%の人たちになるということ。

美しいものは、ただ美しいだけじゃないのです。
理屈で価値を理解できるようになれたら、世の中の物の見え方も変わっていきます。

そして、自分の人生の運転手になることができるようになります。

美に和と洋の境界線はない

年に2回ほど、事ある毎に京都に来ているわたしですが、気がつけば毎回来るたびにテーマが変わっています。
アンティーク家具を見る回、古着を見る回、神社仏閣を周る回、純喫茶を巡る会、美味しいパン屋を巡る回。笑
毎回見るもののテーマを何気なく決めていたように思います。
今回は和の器。京都には古くからある蔵から出てくる漆や青磁、白磁、陶器、ガラスの器を扱っているお店がたくさんあります。

前回の京都では、美術館にて日本の古い器をたくさん見ましたので、今回はいざ使う側に立って物を見てみようということです。

ある骨董屋さんの話によると、コロナの前は中国人が大挙して骨董品を買い漁って行ったそうで、そのときは物がすっかり無くなってしまったそう。
しかし、この2年の間にまた蔵から出てきたものがあり、今はまだ海外からの観光客が来ていないため、物がまだある時期とのことです。

今回、ホテルの周りが期せずして骨董屋ばかりだったということもあり、たくさんのお店を見て周り、古いものでは江戸中期のものから、新しいもので昭和初期のものまで、器を買い揃えました。

家族が4人ですので、これを4セット購入しました。(他にもいっぱい買っています笑)
漆の美しさ、器の形状の美しさ、一つ一つのものを時間をかけて作ることが許されていた時代のものは、やはり感じるものがあります。

人の手がどれだけかかっているのか。
私はそれを、ものを選ぶときの基準の一つにしています。

お茶の道具で使う「水差し」。これをなんと今の卓上ではワインクーラーとして使っているそうです。(お茶の先生には言えません笑)
これを初めてやったのは海外の人だそうで、今はよくあるアイデアになっているそうですが、この「見立て」もセンスがないとできるものではありません。
この使い方はこう!となるのではなく、こういう使い方もあるんじゃない?と遊んでみる。
脳みそを常に柔らかくしておくことが大切ですね。

なぜ西洋人は美しいものを作るのか

このテーマは、わたしが舶来主義者だという前提でお話ししますが、これは今の日本人にとっての提唱でもあります。

今の日本人が忘れてしまった美が京都にはあります。

ずっと前から行きたいと思っている桂離宮は今回も予約がいっぱいで行けず終いでしたが(これも縁ですね)、今回は修学院離宮に行くことができました。
事前予約制なのですが、そのことに当日気がつき、当日枠を受け取りに行き、なんとかおさえることができました。
イメージ通りの極暑日で、汗が吹き出して仕方がありませんでしたが、修学院離宮の美しさは圧巻でした。

お城は将軍が建てた建物。
修学院離宮は天皇のために建てられた建物。
この2つには明らかな違いがあります。
離宮には、この建物、すごいだろ!どうだ。
というような雰囲気が微塵も感じられませんでした。
権力を誇示しない、慎ましく、ただただ謙虚な美。
この在り方こそ、本来日本人が持っていたものではないだろうか。と感動しました。

お城はそうではありませんね。
自分の権力を見せるためのものであり、敵から自分を守るためのもの。
戦いの場です。どちらも素晴らしいですが、わたしは慎ましさがある離宮の美しさに惚れました。

そして、この離宮を見たとき、(昔の)日本人はなんてセンスがいいんだと改めて感じました。

では今はなぜ、センスがいいと言われる人が少なくなってきているのか。
それは、あらゆる理由がもちろんありますが、シンプルに、街中に美しいものがなくなったからだとわたしは思います。

今は西洋の美が世界基準になっているため、その観点からお話ししますが、なぜ西洋の人は美しいものを作ることができるのか。
それはシンプルに、生まれたときから歴史のあるもの、美の方程式で作られているものに囲まれているため、自然にセンスが磨かれてきているからではないでしょうか。

何気なくある建物も、歴史的建造物で、それを壊して新しい煌びやかな建物を作ろう!!という発想があまり起きないのが、歴史を守る西洋諸国の人たちです。

日本は地震大国のため、そこはどうしてもハンデがあります。また、経済至上主義に走ったことにより、長く一つのものを使い続けていくよりも時代に合ったものを作り続けていくという方向に舵を切ったのが日本です。そうすることにより、文化レベルを上げていくことができなくなってしまうため、美意識の格差が生まれてしまいます。

海外にいくと、日本では行列ができ、ゆっくり見ることができない絵画も、無料でゆっくりと見ることができたりします。
夏は涼しいから、無料だし、国立美術館の中で涼もう、という人たちもいるくらいです笑
そうやって、当たり前のように美しいものに囲まれて生きてきた人たちと、そういうものに触れる機会がない人たちでは、地のセンスで雲泥の差が出来てしまうことは明確だと思います。

ヨーロッパに行くたびに見る、とても印象的な光景ですが、貧富の差は関係なく、街ゆく人がウインドウショッピングをしているのです。
自分が買えるものではないと分かりきったお店の前で足を止める。ただ、綺麗なものには目を奪われるという生まれ持った本能なのでしょう。

この感性は残念ながら、我々日本人にはあまりありません。
美しいものを美しいといえる人生は、限りなく豊かだと私は思います。

私たち日本人はそういう意味では意識的にセンスのいいものに触れていかなくてはいけません。
街中にあるのはコマーシャル化されたビル群にアスファルトの地面ばかり。
センスを磨くことで、下手な買い物をしなくなり、結果的に人生を楽しく過ごすことができるようになります。

新しくできた建物に住み、新しい家具、家電に囲まれ、電気で動く自動車に乗る。
これがわるいと言いたいわけではありませんが、これによって、果たして豊かさを感じることはできるでしょうか。

わたしは物を持つ理由は、それを持つことによって豊かな気持ちになるということが一番だと思っています。
それは自分で探して選ぶため、手間がかかります。
ですが、自分で選ぶことによって、その物に対する愛着も湧きますし、大切にしたいと思えるようになります。

長いブログになってしまいました。
また来週、よろしくお願いいたします。

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