〜哲学を着る、ということ〜

ベルンです。

最近購入した旅行用バッグ

GHURKA(グルカ)

$~ 伊達男日和 ~ -Dandyizm Life-

シブイ。

1975年に立ち上がったアメリカのバッグブランド。

不器用に、無骨に時代と逆流したバッグを世に出し続けている。

故に重い。そしてとても使いづらい。

現代的な、開封しやすく、軽く、耐久性もある使いやすいようなナウいバッグとは、正反対なまでに屈強で、まるで主人のいう事を聞いてくれない。

しかし私はそんな物が好きだ。

私の大好きなグローブトロッターだってそう。

$~ 伊達男日和 ~ -Dandyizm Life-

これはイギリスで購入してきた1930年代のヴィンテージもの。

開け閉めの不自由さは天下一品。

「おれを使いこなしてみろ」

とでも言ってきそうなほどだ。

カバンに機能性を求める人は、TUMIやBRIEFINGなどのようなカバンを求めるだろう。

しかし、機能性を突き詰めすぎた結果作られた、今の時代に降り立つ勇ましさの欠片もない洋服たちを見てどう思うだろうか。

「ここにジップがあったらいいのになぁ」

という言葉から美しさを削ぎ落とされ、機能性をツギハギされた物たちではびこっている世の中。

そんな世の中では、洋服を大切にできない人が多いのも頷ける話である。

時流に逆流する物をわざわざ持つためには、その人なりの思想・哲学を持っていないと、持ち続けるのは困難だ。

昔ながらの無骨な物は、天然素材故に、しっかりとメンテナンスをしないとすぐにダメになってしまう。

しかし、しっかりと手入れをすればそれこそ一生モノになる。

そういう面でも、古き良き物を使い続けるのは体力も知識も必要だ。

クラシックでスタンダードな物は今の時代、健在的に市場に出ている物は少なく、自ら足を運んで探し回ってやっと見つけられるくらい奥底に眠っている。

そうやって頑張って探し回って自らが選定した物を、哲学を持たずに所有するのは物に対して失礼な話だと思うのは私だけだろうか。

ましてや、何十年も働き続けている職人さんや、古くから稼働し続けている機械にも、生命を持って生まれてきた素材たちにも失礼な話だと思う。

所有した瞬間から、

「これを一生大切にしたい!」

と思える物で囲まれるような人生にしたい。

もしあなたが、現代の洋服にアンチテーゼを掲げた物を所有していたら、

「なぜ今の時代わざわざそこまで使いづらい物を選ぶのか」

と周りから聞かれるだろう。

そう聞かれた際、自分なりの哲学を相手に伝える必要がある。

なぜスーツの腰ポケットにはチェンジポケットがあるのか。

なぜ裾はシングルではなくダブルを選ぶのか。

そういう疑問に対し、あなたなりの哲学を持とう。

そしてそれを他人に伝え、感動させることができたなら、相手の人も今後そういう目を持って物を見る意識が働くかもしれない。

トラディショナルな物は高価です。

しかし、しっかりと対価を支払うからこそ、物を持つ覚悟ができるのではないだろうか。

私がいつも、
人となりを見たら、どういう人なのか大体分かる。

と言っているのはそういう面から言っています。

少し乱暴な言い方になってしまいますが、

トラディショナルな装いをできる人に馬鹿はいない。

と思っております。

それは、
トラディショナルという一つの括りは、絶対にその人の哲学がないと真っ当に着こなすことができないからです。

トラッドスタイルは一見すると地味で、型にハマっているように見え、格好よく見えません。

そのスタンダードなものを着こなすには、その人自身の「色」、「スタイル」を持つ事が何よりも大切なのです。

その人の人生に思想も哲学も無い人は、流行に踊らされ、いつまでも浪費し続ける人です。

せっかく裸ではなく、自分の着たい服を着ることができる唯一の動物に生まれたのだからこそ、そこは絶対に大切にして、楽しんでほしいのです。

いつもありがとうございます。

ベルンでした!

Atelier BERUN

東京都新宿区神楽坂6-8-23

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