BERUNです。
先日、世界有数のカーデザイナーの方のお話を聞く機会がありました。
その方は、
今すぐ賞賛されるものを作る必要はない。
真に美しいもの、完璧なものであれば、100年先でもその価値は
と仰っていました。
現代の日本車が昔のように哲学や思想を持っているかと言うと、そうは思えません。
そこには、カスタマーや時代の顔色を伺い、創作されている車が多く生み出されているとわたしは思います。
それは洋服業界も同じです。ファッションが多様化し、トラッドファッションも見直されている中、揺るがない伝統的なスタイルでさえも、流行色に染まってしまっています。
流行が渦巻く台風の真ん中で、悠然と時代に呑まれることなく愉しむことができるのがトラディショナルスタイルだったはずなのですが、その”目”がどんどん細くなってきているのです。
また、その方は合わせてこうも言っていました。
世の中の美しいと言われるもの、それらは全てロジックで生み出されている。
時代を超えて賞賛されるものは、9割方はロジックで、残りの1割にも満たない数値がその人のセンスである。
言われてみると、確かにそうだと思いました。
考え尽くされ、美しさの裏付けがしっかりとされたものだからこそ、多くの人の心を動かし、時代を超えて評価されるものになるのでしょう。
天才的な建築士やファッションデザイナー、アーティストなど。彼らは一見突拍子もないものを作り出したかのように見えますが、よく受け止めてみると、人の心を打つ方程式にしっかりとなぞらえて作品を作り出しているのが分かります。(彼らの多くはそれを感覚でやってしまっている人が多いのですが、、我々凡人には到底理解のできない世界を彼らは見ています)
こう思い返してみると、わたしも今まで様々なファッションのジャンルに関わってきましたが、長く向き合い続けたいと思えるのはこの業界がはじめてでした。センスが9割というような前衛的なジャンルにはあまり心惹かれ続けるものはなかったです。一時は惹かれるかもしれませんが、それは一種の刺激物で、即効性はあるものの、持続性はありません。
こういった話を踏まえ、わたしは改めてスーツにアートやデザインの要素を用いるのは、あまり得策ではないと思うのです。
スーツという決められた在り方に、彩り、
美しいスーツを長く着続けるためには、
オシャレが多様化しすぎて、オシャレをすることが普通になってしまった時代。そのような時代だからこそ、オシャレをしたいという気持ちが、その人の着こなしに”隙”を作ってしまうのです。
ピタピタな細身シルエット、短い着丈、小さすぎる上着、派手すぎる裏地。そういった洒落心が少しでも垣間見えてしまったら、その人の品格の限界をそこで他人は知ることになります。
凡事徹底、浮き足立っていては、時代が変わるとともに足元をすくわれてしまいます。
オシャレとは別の世界で洋服を選びはじめた日から、ファッションとしての、”着こなしがカッコいいランキング”という世界から、全く別のフェーズへ行くことが可能です。
それは、彼より自分の方がカッコいい。彼の着こなしはこうだ。というような比べる世界ではなく、みな賞賛し合って高め合っていける世界です。
トラディショナルな世界は、競い合うことのない、ただその人の在り方を真っ直ぐに受け止める場です。
なぜなら、彼らの目的はお洒落をすることではないからです。しっかりとした洋服を着て、どう過ごすか、という洋服を着た先の世界を見ているからです。
そう考えてみますと、せっかくの休日に、とてつもないカジュアルな装いになり崩して週末を楽しむのも決してわるいことではありませんが、休日にしかできない装いをして、その1日を思い切り楽しむというのも、いい発想ではないでしょうか。
特にこれからの夏は、多くの人たちが着こなしを諦めてしまう季節です。
わたしは、装いを愉しめる季節が来た!と毎年わくわくしています。
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