BERUNです。
わたしが英国の洋服を勧めているのは、何もわたしがただ無条件で英国のことが好きだ!という理由だけではありません。
現在のテーラードスタイルの始まりは英国から来ているからです。
(ミリタリーやスポーツ、カジュアルウェアは各国のスタイルがあります)
世界各国の洋装は、英国を皮切りにその国それぞれのスタイルへと発展していき、現在に至っています。
イタリアファッションは日本でも有名なので、好きな方も多いと思います。
イタリアファッションの良さは、その洋服を身にまとえば、誰でもお洒落に見えるところです。着こなしのレベルがそこまで高くなくとも、”それなりに”お洒落に着こなすことができる懐の広さがあります。
それに比べるとイギリスの洋服は地味です。着る人の雰囲気、人となりが問われます。だからこそ、若いうちから積み上げておくことが大切なのです。
わたしのお客様でも若い方は、いきなりクラシックなスリーピーススーツを身に纏い出すことで、周りの人たちの反応がとても面白く激変すると聞きます。
否定的なコメントの例:いきなりどうした??。おっさんくさい。部長みたい。胡散臭い。前の方が良かった。
肯定的なコメントの例:めっちゃいいじゃん!!格好いいね!俺もそういう服にしたいんだよね。
人は変化に対して必ず何かかしら反応するものです。その四方八方からくる全ての反応に耳を傾ける必要はありません。あとは自分の道を邁進していくと、いつの日か、誰も何も言わなくなり、(自分の道のベクトルが間違えていなければ)肯定的なコメントだけが残るようになります。
わたしもこの世界に入ったのは20歳のときでしたから、当時の周りのバッシングはすごかったです笑
ただでさえ、スタイリストのアシスタントをやって、バリバリファッションの最先端を支えていた身でしたので、いきなりスーツを着て現れたときは否定的なコメント99,9%でした。笑
年相応のお洒落を愉しむ
歳を重ねてからはじめてお洒落をする方の着こなしは、若い人には出せない色気のある格好良さを楽しむことができます。しかしその反面、王道を着ると積み上げてきた年輪の少なさはどうしても表出してきてしまいます。若いうちから積み上げてきたお洒落と、後年からのお洒落は土台が違うので、楽しみ方が異なります。
日本ではあまりメンズのフレンチスタイルは日の目をみていませんが、フレンチスタイルは順当に歳を重ねた男性にしか着こなせない独特の色気があります。
若者が背伸びをして着てみてもいいのですが、やはり洋服が勝ってしまうのです。
エルメス、アルニス、シャルべ、これらのフランス発のブランドに共通することは、フランス独自のエレガンスが漂っているところです。イギリス、イタリア、アメリカのファッションにはない、フランスならではの世界観があります。
メンズファッションはその歳毎に楽しめる洋服がありますから、そこに気づけたら、一生楽しめますね。
英国スタイルド直球コーディネートはそれはそれで格好いいですが、そのスタイルは基本中の基本なので、個性がなく、面白みがないように思う方もいるかもしれません。
基本をしっかりと学んだら、そこからあとは、どのように自分らしい色を加えていくかということです。何もわざわざ意図的にやるわけではなく、自分自身の経験や見てきたものを軸に、幅を少しずつ広げていきましょう。その幅や深さが、自分のスタイルへとなっていきます。
全ては憧れから始まる
自分のスタイルをどのように作ればいいかわからないという方は、ぜひ往年のウェルドレッサーの方が、どのようにスタイルを作ってきたか参考にしてみるといいでしょう。
ファッションを学ぶ上でとても便利なものは、やはり20世紀が生んだ映像の芸術、映画です。こんなにも勉強になる教材はありませんから、見ないわけにはいきません。
特にいうなれば、1940~1960年までの作品はシックで本質的な服装が多いです。
1970年代からは、服装が華やかな時代になっていきますので、その時代毎の色が顕著に現れるようになっていきます。ファッションが商業として上り詰めていった時代ですね。
【※ 何気なく履いているトラウザーズはベルトレスのサイドアジャスター。2タックというクラシックでエレガントなシルエット(泥棒成金より)】
有名な話ですが、学ぶことはまねぶ(真似る)ことであり、まずはいいと思ったことは、表面をなぞってみるだけでいいのです。それが自分と相性が良ければ、徐々に自分自身に浸透していき、理解が深まり、自分の血となり肉となっていきます。いつの間にか何かから学んだ、教えてもらったことは、自分自身のものになっています。
【ハンフリー・ボガードが出演する(マルタの鷹)のワンシーン。深い股上のトラウザーズ。氏の色気によって、タイの短さは違和感なくハマっている】
まねび、伝えていく
日本生粋の伊達男である伊丹十三の本、「女たちよ!(新潮文庫)」は、このような一節から始まります。
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〇〇のときはこうするのがいいんだと教えてくれたのは、Aさん。
□□はこうしてはいけないと教えてくれたのは、Bさん。
△△のときはこうではなく、こうするのが望ましいと教えてくれたのは、Cさん。
etc…
というようなわけで、私は役に立つことをいろいろと知っている。そしてその役に立つことを普及もしている。がしかし、これらはすべて人から教わったことばかりだ。私自身はほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない。
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伊丹十三ほどの人物がこれほどはっきりと言い切っているところが、本当に粋な男だなと思わせてくれます。
この一節を読んだら、「わたしは何もかも自分で生み出しました!!」なんて恥ずかしくて言えるはずがありません。
人は全て誰かから何かを教えてもらい、それをまた後世に伝えていくことで今があります。
だからこそわたしは、自分が良い!と思ったものは、おしみなく伝えていきたいです。そしてそれをきっかけに人が少しでも前向きに変化していくことが、わたしの人生の楽しみでもあります。
-Atelier BERUN-
東京神楽坂のビスポークテーラー
東京都神楽坂6-73-15
メゾンドガーデニア301