BERUNです。
今回は洋服のお話ではありません。久しぶりに、最近感じていることを文章にしてみたいと思います。
昨年の秋頃から断ち始めた、小麦粉・砂糖・乳製品・植物油。(完全にではありませんが、かなり減らしています)
きっかけはとあるYoutube動画なのですが、私は小麦、砂糖大好き人間で、やめることなんて、到底考えられませんでした。
私は小さい頃、鍵っ子だったので、家に帰るとたんまりとお菓子があり、そのお菓子とパンと冷凍食品を食べて大きくなったわけです。
その影響もあってか、季節が変わればいつも風邪をひく、そして風邪をひけば病院に連れて行かれ、薬を飲まされる。そんな少年時代でした。
「マク◯ルドは小さい子供に食べさせろ。その頃に食べた味は一生記憶に残る」
というのが大企業のやり方ですが、私の脳もすっかりその味を覚えてしまいまして、もうそれなしという人生が考えられないという状態で、これまで過ごしていました。
他の健康に対することはやるけれど、お菓子はやめられない!コンビニには1日2回は必ず行く。
そんな中毒であった私なのですが、昨年の秋から、すっぱりやめることができました。
やめてみると、世の中にあるもののほとんどが中毒性のあるものしかなく、行列が生まれているものは全てがその類いでしかないということに気がつき始めました。
大好きだったパン屋巡りがなくなり、ラーメン屋、ピザ!!イタリアンという選択肢がなくなり、いやはや苦労するか、はたまた人生の楽しみが激減するかと思っていたのですが、むしろその逆で、本当に身体が喜ぶ食べ物だけを食べたい。と思うようになり、自然とそれらのものを欲しなくなってきたのです。
外食の時は和食、そば屋を探す。どうしても甘いものが食べたくなったら、和菓子は許すというマイルールは持っています。(自分に甘い笑)
そのため、以前も書いたことがありますが、仕事の時は自宅でむすんだ玄米おにぎりを持っていき、それを合間に食べています。
小腹が空いたらせんべいを食べる。
そうなってくると、コーヒーよりも緑茶が飲みたくなってきます。
そして少し時間があれば、せっかくお茶を習っていることだし、簡易的にお抹茶を点てよう。と薄茶を点てて飲んでいます。
食べ物はその人の全てを司るというのは昔から言われていることですが、このような生活をし始めていると、自分自身の身体を信頼できるようになってきます。
食生活を変え、1ヶ月前からはシャンプーもやめてみて、湯シャン生活に入りました。
乾燥肌であった私は20年以上オイルが欠かせなかったのですが、そのオイルも思い切ってやめてみました。
人間の身体というのは正直で、外部から応援がくると、それに甘えるわけです。
「うちの大将、必ずオイル塗ってくれるから、油出さなくていいやー」
となるわけです。
自分自身の身体のパフォーマンスを高めて、あとは信じる。それをやることで、人間本来の力が湧き上がってくるように感じます。
結果、オイルをやめてみて感じたことは、別にカサカサピリピリしないし、なんならしっとりしてきているまであります。
食事を見直し、日用品も見直すと、細かなお金がかからなくなります。
これは経済を回したいナニモノからすると非常に迷惑です。そのことに気がつかれては困りますから。
食事の影響もとても大きいと思います。自分の身体が喜ばないものはなるべく身体に取り入れないようにする。それは自己愛にも繋がります。
私は自分の身体をこれだけ愛しているんだ。という思い。
まず、横文字を見たら疑ってみる。
それは自分の身体が喜ぶものだろうか。と一度考えてみる。
食事を本来の日本人のあるべき形に戻していくことで、自然と思考も東洋人としての考え方に流れていくのを日々感じています。
船に乗ってきたものも、たまになら口にするのはいいけれど、私は日本人である。という姿勢は崩さないようにする。
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では、私の仕事である、洋服、スーツというのは、本来の形は、自然体であるというものとはほど遠く、どちらかと言うと、飾り立てるもの、自分をより大きく見せるもの。というものです。
元々は貴族階級の男たちが金と時間を持て余していたことから、男の嗜み競争をしていったことで、今のジェントルマンズスタイルという形が生まれました。
貴族階級というのは、階級社会で、奴隷という存在がいることで成り立っているものでもあります。
野蛮な奴らとは違う。私は貴族だから。という権威を表すためのものにも、服装は使われています。
東洋の思想は調和、和であることに対し、西洋には制圧、排他というようなニュアンスを感じます。(もちろんそれが全てではないことは承知しています)
そもそも、私たち東洋人と西洋人は、生き様、大切にしているもの、何から何まで全く異なるのです。
ですが、本来持ち合わせていたはずの東洋的思想は、戦後私たちはすっかり消されてしまいました。
私が習慣的に”道“を学ぶ時間を作っていることで感じることがあるのですが、日本人が日本人である!と感じることができる場所は、”道”の世界にあると思うのです。
洋服を着て、パンを食べ、コーヒーを飲み、洋楽を聴く。
そこに我々日本人としてのアイデンティティはどこにあるのか。もしないのであれば、もうただの真似事でしかなく、そこに日本人というものは存在していないのではないかと思うのです。
私自身も、舶来主義、舶来品大好き、インポートものバンザーイ、ですので、何も西洋のものを否定する気は一切ありません。
このようなお話をしますと、闇雲に、国産のものに目を向けるべきだ!という考えをする方もいらっしゃるのですが、その発想もイージーだと思うのです。この問題はそんなに簡単なことではないと思います。
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私は日々洋服屋という仕事をしていて、今これからの時代に必要な考え方は、
洋服を日本人として着る。というマインド。
それこそが私たちに必要なことなのではないかと思うのです。
きっとおそらく、明治時代の日本人は、この気概を持って洋服を着ていたことと想像します。
これはやり方ではなく、あり方です。なので正解がありません。
マインドだけなので、ぱっと見の印象どうのこうのの違いが出るわけでもありません。
そのマインドを持ち、洋服を着ることで、決して外の国の真似事ではない、日本人でしか着こなせない洋装の美というものを、見出すことができるはずです。
本来の西洋のジェントルマンのスタイルを重んじるのでしたら、髪はしっかりと固めてヘアラインを作り、全身西洋のスタイルになりきることが大切とされています。
実際、1950年頃に書かれたテーラーの本では、
「日本の歌なんか聞いてはいけない、ジャズ、ロックを聴け。米を食べるな、パンを食べろ。身体の中から外まで西洋人になるんだ」
という記述がありました。
それはその時代には良かったのかもしれません。しかし今は洋装が当たり前で、それらのことも全て当たり前になりました。
21世紀、そして2025年というこれからの年で改めて必要なマインドこそ、東洋の心を持つことだとわたしは感じます。
そのため、私はジェルで頭も固めなければ、びちびちガチガチにクラシックスタイルにはしていません。
なぜなら、その先にあるのは、私ではなく、ガチガチクラシックスタイルにキメた人。だからです。
わたしという存在を磨いていくこと。人生はそれに尽きると思います。
そのために、丁寧に作られた衣服を着る。そして日本人に合った食事をする。そして住まいの中にあるものも、なるべく自然の中から作られたものを選ぶ。
木、革、綿、麻、ウール。昔から人の生活と一緒にあったものに囲まれて生きる。
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西洋には宗教があります。自分を戒める場があります。
しかし私たちは宗教すらも消されてしまいました。
だからこそ、改めて仏教を学ぶ、そして、日本人としてのあり方を学ぶために、”道”を学ぶこと。それを根底に持ち、日々の混沌を生きる。
その姿勢が、特にこれからの時代、とても大切なのだと感じています。
コスパ、タイパと騒がれる昨今。このような時代だからこそ、立ち止まり、内観する時間を作ることはとても大切です。
日本人であることに誇りを持ち、西洋の文化を着る。
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偉人や、昭和の文豪の人たちの生き様を見ていますと、それこそ粋、ダンディズムを感じます。
破天荒な様、明日や未来のことではなく、今を輝く。
その一本筋が通った生き方に、ダンディズムを感じるのだと思います。
そのような人たちの生き方に強く憧憬はするのですが、わたしは今世では、そのような生き方をする精神は持ち合わせて降りてきませんでした。
ないものに憧れるのではなく、昭和期までのダンディズムに想いを馳せながら、これからの時代に生きる粋とは何かを、模索し続けていきたいと思います。
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なんとも的外れだと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、思想というものはそういうものだと思います。みんな違ってみんないい。
たまに動画のコメントで、
「◯◯(有識者)さんと言っていることが真逆ですけど、どっちが正解なんですか?」
という質問をいただくことがあるのですが、みんな違って当然なのです。
全ては”道”ですので、一人一人違う道を歩いているのは当然です。
その中で、この人の道が自分には合う!と思った轍を歩いていく。それが道の一歩だと思います。
(この文章を今、どら焼きを食べながら書いていることをここに白状します。小麦、砂糖、摂ってます。許してください笑。どら焼きとっても美味しいです)
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-Atelier BERUN-
東京表参道の仕立て屋 / 洋装士
Haruto Takeuchi / 竹内大途