BERUNです。
緑が濃くなってきましたね。
私はいつもBERUNには四ツ谷駅から歩いて通っていますが、皆様にもぜひこの道をお勧めしたいです。
四ツ谷駅の赤坂口を出てから元赤坂のBERUNに着くまで15分ほど歩きますが、ずっと美しい景色が続いています。
コンビニひとつありません。御用地沿いをただ歩きます。
最寄駅は赤坂見附と永田町ですが、ぜひお時間に余裕のある方は、この四ツ谷駅からの御用地ルートを通っていらしてみてください。
自分という鉢の大きさを考える
ガーデナー兼職人美容師のcocolu鮎澤さんが移転祝いに持ってきてくれた薔薇の花が咲きました。
この赤れんがを這うように薔薇を伸ばしていく予定です。
この時期は、自宅と店に置いてある植物たちが旺盛に育っていきます。
1日家を空けただけで、
「えっもうこんなに大きくなってるの!!」
と驚くこともしばしば。
そしてひとつひとつを見てみると、すくすく育っている子もいれば、そうでない子もいます。
明確なことは、大きくなっていない子たちは、大きくなる環境が備わっていないのです。理由といたしましては、鉢の大きさが足りず、これ以上大きくなることができないからです。
観葉植物の鉢の大きさ選びが、まさにこの考え方です。
植え替えたばかりのときは、少し大きめの鉢にします。
そして2年程経ち、順調に大きくなった植物は、その鉢ではそれ以上大きくなれないと土から根っこを出してきたりして、我々に合図を送ってくれます。
そのとき、気が効くオーナーはより大きな鉢に替えます。
それを繰り返すことで、理想的な成長をしていくのです。
しかしここで気をつけなくてはいけないことは、鉢をいきなり大きくしすぎてしまってもいけません。
そうすることで根腐れをしてしまう可能性があるからです。
子供の教育に携わる方から以前聞いたことがありますが、子供にさせる挑戦は、ちょっと頑張ればできることを提供し続けていくこと。ちょっとが外れると、時にトラウマになってしまう。ということを話していました。まさに植物も人間も同様に、少しずつ積み上げていくのがいいのかもしれません。
その子の現在地をしっかりと見て、そこに適した環境を提供することが、オーナーのできることです。
しっかりと手をかけてもらった植物は、そのときの大きさに合わせて素直に成長していきます。
今自分が入っている鉢は果たしてどのくらいの大きさでしょうか。
大きすぎず、小さすぎず、常に少しだけ大きめの鉢に入り続けてみる。そうすることで、気がついたときは天井についているくらい大きな植物になっているかもしれません。
わたしが創業当時から変わっていない物作りの根本の考え方といたしまして、自分自身とお客様には、”今”似合うものを提案しないようにしています。
ではいつ似合うものなのかと言えば、3〜5年後に、ようやく様になってきたなぁと思えるものを考えてお作りしています。
そうすることで、はじめの1〜2年はそれを着ているとき、少し恥ずかしさがありますが、それが似合うようになろうと無意識レベルで努力します。
そして気がつくと、自然に着こなせるようになってきます。
そして5年も過ぎると、雨の日でも全く気にならずに着ることができるようになるものです。
Nikko
年に2,3度訪れるようになった日光。古き良きものを大切に守り、歴史を愛する人が自然に集まる場所です。
天気がちょうど晴れたので、日光東照宮の隣になるレストラン、「明治の館」の新しく完成した外のテラスで食事をいただきました。
今や世界中からオファーを受けている鞄職人Keiichiroファミリーと一緒に行きました。
今回、本当に素晴らしい方との出会いがあり、これからの生き方を考えさせられるきっかけをいただきました。
後世への最大遺物とは
いきなりですが、我々は後世に何を遺せるのだろうか。
こんなことを考えると、昔、結婚祝いに友人からもらった「後世への最大遺物」という本を思い出します。
(素晴らしい本でした。結婚祝いにこの本をくれた友人のセンスに脱帽です笑)
その本の答えはネタバレになってしまいますので伏せておきますが、私なりに今ある答えは、
一日一分一秒を大切に生きること。自分と人の人生を愛すること。
このことを教えていくことが、何よりの教育になるのではないだろうか。と感じました。
数字やトレンドに流されて、それを追うように走り続けて、気がつけば結構歳を取ったなぁと思うことが当たり前になってきた昨今。
世の中に流れが起きたり、新しいものが生まれるのには必ず理由がありまして、それはその流れを生み出した人が甘い汁を吸えるからに他なりません。
では、その新しい流れではなく、昔から当たり前にあるものに触れるとどうでしょう。流れがぴたっと止まり、穏やかさを感じます。
その穏やかな時間の中を丁寧に生きる。それを少しずつでいいのでやってみる。そうすることで、世の中の渦とは違う流れが自分の体内に巻き起こってきます。
流れは自分で作るものです。
後世へ本物を伝える
生地の話や洋服の話となると、2000年代以降は物の品質が下がるばかり。
よく、「技術は上がっているのになぜ物の品質が下がるのか?」と質問をいただきます。
これはシンプルな答えですが、ひとつの物を作ることの大切さを見失っているから。これにつきます。
昔の生地は、すべて人の手によって作っていたものを、今はワンボタンで機械が大量に作っています。
そうなってしまえば、前者の生き方は否定はされませんが、時代の流れが早くなりすぎてしまった結果、そのような思想を持った会社は生き残っていけません。流れに乗るまま、現代は後者の安価で大量生産できる会社が勝者になっているのです。
しかし人の手が加わらず、機械で作られたものに愛着を感じることができるでしょうか。
答えは否。(だと私は願いたい)
人の手で作られたものの方が遥かに温かみを感じます。
これで何が言いたかったのかと言いますと、自分が心の底から気に入ったものを大切に持ち続けるということは、たくさんのものを持つことより、はるかに豊かであるということ。
愛されて、手をかけて作られたものは、人を豊かにします。
買い換える、使い捨てるというサイクルの中にいない生き方。
(誰よりもできていないのは何を隠そうわたしです笑笑)
古き良き時代の生地
ヴィンテージ、アンティーク最高!!と手放しで言うほど偏ってはいませんが、現行物とヴィンテージ物は半分半分くらいの割合で関わっています。
ヴィンテージの魅力はまさに、今の時代には作ることができないものを見ることができるからです。
古民家の作り方しかり。木材など、今ではこんな良いものないですヨ、というように、古いものにはやはり力があります。
考えてみるとシンプルですが、日々毎分毎秒、新しいものが生まれてきているにも関わらず、今この時代にも物の価値として残り続けている、というのはすごいことだと思います。
毎年何千、何万本という数の映画が世に出ているなか、1940年代の映画が今も残っているのには、それ相応の価値があるからでしょう。
その先人たちが作ったものから、私たちは学べるものがたくさんあります。
この圧倒的なオーラを放つこちらの生地は、1980年代に作られたドーメルのスポーテックス。
1980年代といえばバブル絶頂期。イケイケウハウハのバブル時代に、この土臭い、男臭い生地を、「良いねコレ」と言い、着ていた人たちのセンス。想像するだけで心が震えます。
いつの時代も、大衆と少数精鋭派がいるものですが、この生地を着ていた戦士は間違いなく少数も少数。森の中で一人で孤軍奮闘していた兵士に違いありません。
今この時代もスーツが必要なくなった、と言われているなか、あえてスーツを着る人たちがいます。
そのように時代は進んでいきますが、この生地を20代のお客様に選んでいただいたのには感動しました。
ホームスパン柄にオレンジ色のようなストライプが入った生地。当時の作り手のセンスを(いい意味で)疑います。笑
これが売れると思ったのでしょうか。こういう生地を作るのが許されていた時代なのでしょう。
約40年前の生地、これが現代、洋服として形になり、また30,40年と着ていかれるのが楽しみです。
こんなスーツを着ている人がいたら、思わず声をかけてしまいたくなります。
隣の上着はウールリネンブラウンの生地。こちらも渋い、いい味を出しています。
次の世代の人に渡していけるスーツです。
自分の人生だけではなく、人の人生にも関わることができるスーツ、とても素敵だと思います。
なんだか、言いたいことを書き続けていて、まとまりのない内容になってしまいました。
いつもわたくしの乱文にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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-Atelier BERUN-
東京都港区元赤坂のビスポークテーラー
洋装士:竹内大途