BERUNです。
先日、家族で熱海まで行ってきました。
兼ねてから行ってみたかった旅館「大観荘」へ。
名前の通り、画家横山大観がこよなく愛した宿という、歴史のある旅館です。
飾り立てる様子はないけれど、凛とした心地よさがある宿でした。
ブランディング、マーケティングの力ではない、地の力。そのため、まだ海外の人はこのようなアジのある空間に気付いている人は少ないのかもしれません。
このような時代を超えて価値がある場所というのは年々ものすごい勢いで減少していますので、今あるものは、もし知っていたら迷わず飛び込んで経験するのが良いと私は思います。
文化は一度でも途絶えてしまうと、もう元には戻りません。
それは折れてしまった割り箸のように、接着剤やテープでくっつけることはできても、全く同じものには戻ることはないのです。だからこそ歴史のあるものには価値があります。
子供ウェルカムのホテルですと、キッズルームがあるのが普通ですが、我々夫婦からするとそういうものは必要なく、その場に心地よい空間が流れていればそれでいいと思っています。(キッズルームがある方が子供は楽しめるんじゃないか、というのは大人の思い込みだったりしますよね。子供は本当にクリエイティブなので、そんな場所がなくても無限に遊べます)
全体を通して大人な雰囲気ですが、子供との関わり方にはしっかりとした優しさがあり、ツールや方法に委ねるのではない骨太なスタイルが非常に心地よかったです。
考えてみると、わずか数十年前には、子供の登竜門であるアンパンマンやトーマスのようなキャラクターものはなかったと思います。
その当時の子供たちは、自家発電的に自分自身で楽しさ、面白さを発明していたと想像します。
外的要因ではなく、自家発電する子供に育てば、親としては、「まぁ頑張ったんじゃないですか」
と向こうに行ったときに、神様と盃を交わすことができるのではないでしょうか。
近くで遠い熱海、実は行きたい場所がいくつかありました。
起雲閣
1919年に作られた名邸。
日本家屋と洋の間の融合が見事。
タイルと木の使い方が素晴らしすぎます。
「和洋折衷はあきまへんで」というのは、理由は簡単で、とっても難しいからです。
ついつい一度は手を出してしまいたくなるものですが、それは和と洋、どちらのスピリットも理解し、センスもお金もある人がはじめて乗りこなすことができるものです。
今の時代は残念ながら、お金はあるがセンスは、、またその反対も然り。
どちらも持ち合わせた人というのは、もはや絶滅危惧種になりつつあります。
それは時代の変化なので、若干のノスタルジーに浸りつつ、前を向いて歩きましょう。
この蛇口、萌えますね。こういう蛇口しか製作していない会社とか、国が守るべきだと思います。
小田原文化財団 江之浦測候所
こちらも人気のスポット。
予備知識なく、当日行けると思い込んで向かったら、予約が必要とのことで、翌日リベンジしました。笑
ここは小さな子供はNGの場所のため、わたしがここを散策している間は家族は公園で遊んでもらっていました。
すまない、妻。笑
崖に立つ雄大な施設です。とても壮大な場所で、ここの素晴らしさは写真では全く伝わらないので、ぜひお近くに来た際は足を運んでいただきたいです。
日本は安売りをよしとする風潮がありますが、それでは文化は育ちません。この土壌ではデザイナーや職人が育ちにくいです。
職人やモノづくりの人たちが適正なお金をいただくことで、様々な経験をする事ができます。
それが物となり、還元されるのです。
ただ原価がいくらだ、というような発想は二次元的で非常にツマラナイと思います。
その人が何を見て、何を感じてきたのか。そこにこそわたしは支払うべき価値があると感じています。
旧日向家熱海別邸
ブルーノ・タウトが設計した地下室がある、こちらの建物。
ブルーノタウトは日本にいた3年間、設計の仕事はほとんどせず、日本中を旅していたそうです。
その中で感じた日本の美を、この別邸に取り入れています。
綿密に計算され尽くした空間。
この施設は時間が決まっており、ガイド付きのため、丁寧に説明してくれました。
熱海、再ブームが来ていると聞いてはいましたが、街はかなり人が多く、新しい店も多く立ち並び、新旧の混合が心地よいカオスを生んでいました。
海の幸も楽しめるので良いですね。
そして最後は大好きな友栄でうなぎを堪能いたしました。
パテックフィリップ展
さて、最後は新宿で6月25日まで開催されていたパテックフィリップ展へ行ったときのお話。
わたしは友人の(自他共に認める)パテックマニアの影響により、すっかりパテックフィリップの魅力に取りつかれてしまっています。
今回の展覧会では、過去のアーカイブから、現代の作品を紹介してくれて、時代の流れを感じる事ができました。
しかし、これは2019年に開かれたカルティエ展でも感じたことなのですが、過去のアーカイブと現代の作品を同じ場所に置いてしまうと、誰がなんと言おうと昔の作品が圧勝なのです。
これは1つの作品を作ることに対するコストのかけ方が変わってしまったため、仕方のないことです。
昔は、腕の良い職人がいたら、王様が、住居と食事を与えるから、世界一美しいものを作れ。というような話がまかり通っていました。(大昔の話ですね笑)
今は職人一人一人の人権もありますし、物価が上がり、お給料も昔より高くなっていますので、そんな非人道的な所業はできませんね。
このような良いものを作るという思いは、甘く見積もっても80,90年代まではありました。
それは、まだ職人が職人として生きられていた時代がそこまでだと私が感じているからです。
2000年になって何が大きく変わったのか。
1つの大きな要因としましては、インターネットがあると思います。
インターネットの発達により、世界が小さくなりました。
世界の色々なものをすぐに見ることができ、加速度的に世界中が発展してきました。
しかし、今になり冷静になって考えてみると、その発展というのは、経済的にという一点張りです。
経済的に発展することにより、文化は急速に失われていきます。(冒頭の話ですね)
文化を保ちながら経済を発展させるということはかなり難儀な話です。
また、インターネットが発達したことによって、お金を持つ人たちが変わりました。
これは皆に平等にチャンスが与えられたため、決してわるいわけではありませんが、昔のお金持ちといえば、貴族、文豪、文化人のような人たちでしたが、今はなんの後ろ盾もない人たちが大金を手にすることができるようになりました。
文化人がお金を持っていた時代に築かれた美しいものたちが、今のお金持ちたちの価値観と大きく異なるため、それを保ち続ける必要があるのか?と疑問を投げかけられることも多々あります。
腕時計で言いますと、今の主流は昔よりはるかに大きなサイズになっています。
アンティーク時計でしたら31〜33mmという小ぶりな大きさが当たり前でしたが、今は38〜40mmが基本のサイズです。
昔の時計職人の技術では、31mmの小さな宇宙に機械式時計を入れることができていましたが、今は40mmの中に入れるのが基本になりました。
9mm、約1cm、余白が生まれるのです。これは技術者としては、楽ちんになりますね。
綿密にこだわって、どうすればこのムーブメントを入れられるだろうかと頭を悩ませていたのが、もうそれをしなくてもいいのです。
また、昔はシャツの袖の中に隠れる大きさと薄さが求められていましたが、今は良い時計を着けていることを見てもらいたいという一心なのか、どんどんデカく厚くなってきました。
わかる人だけわかればいいという世界から、もっと多くの人に気づいて欲しい!という世界では、求められるモノづくりも変わってきますよね。
わたしの美意識でいいますと、腕時計は薄く小さい方が優美で格好いいと思っています。
そのような時計が今はなかなか作られなくなってきておりますので、私は古い時計を探すのです。
それと同様に言えるのが、服飾業界です。
洋服の生地然り、昔のものは時間をかけてじっくりと作られているものが多かったです。
それは、機械が発達していなかったため、高速で生地を織ることができなかったのですが、ゆっくり織り上げる生地には、現代の高速織機では作り出せないオーラがあります。
そのように、忘れられていく本物を、まだある今のうちに、堪能しておいた方が良いと思います。
あと20年もすれば、今普通に手に取れているものが、博物館のガラス越しでしか見れなくなるかもしれません。
そのガラスの前には、男女共に同じ服を着た人が立っている。
そんなモノクロな未来が見えます。
世の中を大きく変えたいとまで思いません。
私は時代がどんなに変わっても、優雅さを忘れずに、人生を楽しむことに邁進し続けたいとおもいます。
そしてそのように感じていただける人が1人でも増えてくれたら、生きててよかったなぁと思いながら来世、何の動物になるか分かりませんが、バトンタッチ!!とするでしょう。
インターネットの影響で、格好いいの基準が画一化されてきています。
世界中の人たちが、同じようなファッションをしています。
世界中の美意識が右向け右になっている結果でわかりやすいのが、車のデザインではないでしょうか。
昔はエキセントリックな車を作っていた欧州車も、今やロゴを外したらトヨタかホンダと見分けがつかないほどにまでデザインが均一化されてしまいました。
このような時代だからこそ、大衆が求めるものに飛びつくのではなく、本当に価値のあるものを掴み取るセンスが必要です。
世に出てきているものは、すべてマーケティング、ブランディングの力によって出てきているものです。
つまり、その戦略代のコストが物に乗っかっているのです。
それが本当によいものでしたらなにもわるくはないのですが、果たして今の時代にポッと出てくるものに本質的なものがあるのかといいますと、疑問が残ります。
時代を超えても美しいと評価され続けているものを見ることで、時代を深く読み取ることができます。
絵画を見て、旅をして、美味しいものを食べましょう!
さて、こんなブログを書いている今日、アトリエの移転日です。
移転の様子はまた来週にでも書きたいと思います。
いつもありがとうございます。
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-Atelier BERUN-
東京都港区元赤坂から南青山へ / 洋装士
Haruto Takeuchi / 竹内大途