復興5年目の始まり

ベルンです。

3月11日が起きてから、今日で丸4年が経ちました。
2万人が犠牲になった東日本大震災。

未だに亡くなられた遺族を思いながら日々生き続ける方々を思い浮かべると、胸がちぎれそうになります。

わたしは4年前の今日、イギリスにいました。
ノンキにノーザンプトンでシューズファクトリー巡りをしていたときに、通りすがりの方から言われたのです。

「お前は日本人か!?ニュースを見たのか!?」

とっさに入った現地のスーパーでのテレビで、我が目を疑いました。
何かの映画の宣伝ではないのか。
しかしその映像は、リアルそのものでした。

イギリスに飛び立ってたった3日後の出来事でした。
これから半年も滞在するのだということを考えさせてしまう、大きすぎる天災。

日本は計画停電や節電が促され、地下鉄では電気が消える日が続き、その日を境に国民全員が贅沢は悪という風潮に浸ったと聞きます。

こんなときにイギリスでのほほんとしていて、何をしているんだ。
そう、毎日悩み続けました。
早く帰って被災地に行き、微力でも復興の手伝いをするべきなのではないか。

そう悩み続けていたとき、お客様から一件のメールがきました。

「日本はなんとかしているので、心配しないでください。ベルンさんは思い切ってイギリスを楽しんで、たくさんのことを学んできてください。」

あの巨大な地震を経験していないという複雑な思いを感じ取ってくれているようなメールに、心を打たれました。

その日から、わたしは思い切って英国で生活をすることを決めたのです。

わたしの故郷の青森も、海沿いは甚大な被害を受けました。
放射能の力を見誤り、人類史上歴史に残る大きな失敗をしてしまいました。

半年後、日本に無事帰国することができましたが、それからは洋服を売ることの疑問が残り続けました。
「こんなご時世に洋服を売るなんてどうなのだろうか。」

洋服作りを見つめ直していたとき、ある方がこう仰ってくださったのです。

「こんなご時世、オシャレをしなきゃ暗くなる一方ですよ。」

いつ何時も、繊細なわたしの気持ちを救ってくださったのは周りにいる方々でした。

この言葉を聞き、わたしはオシャレに興味をもった当時の自分を思い出しました。
そうか、髪を切るのも着飾るのも、直接生活には関わるものではないが、間接的に強く関わっているものなのだと。

オシャレをすることをやめたとき、そこから人の老化は始まる。
人は生きている間、輝き続けることができる。
その手助けをできるのが洋服なのです。

人と永遠に共存し続ける洋服。
どんなに時代が移り変わろうと、洋服がなくなることはありません。
そして、オシャレをしたいという欲求も、なくなることはありません。

それは人間の細胞レベルで培われた欲求なのでしょう。

震災と共に強く生き続けてきた日本。

だからこそ、たくましく生きる大和魂が育ったのだと思います。

人と密接に関わり続ける服飾業界に携われたことを誇りに思い、わたしはこの仕事を永続的にやっていくことを決断しました。

震災が発生して4年。
風化してはいけない現実があります。
復興5年目が始まりました。
一人一人、真剣に生きていくことを託された2011年。

自分らしく、生きていきたいと思います。

ベルンでした。

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