BERUNです。

わたくし事ですが、先週第二子が産まれました。
2人目も男だと分かったとき、竹内家の宿命を感じざるを得ませんでした。笑

わたしと妻で、仏教の言葉にある、人はそのままで完全で完璧である。ありのままでよし。という言葉に強い感銘を受け、自然のままであるというところから「然」という言葉をあげました。親が子にできることは、名前をあげることだけだという教えもありますが、ありのまますくすく育ってほしいです。

「Let it be」

また、9月末に藤野の自宅が完成しました。
あまり大っぴらには言っていませんでしたが、9,10月は、自宅と店のダブル引っ越しと、第二子の誕生が立て続けにあり、大忙しでした。

店の引っ越しも終わり、一息ついたところでコウノトリさんが来てくれました。

これから冬が来るので、庭の計画をじっくり立て、春から植樹していこうと思います。

藤野に越してから、植物や動物、虫との接触がとても増えました。
新しい店作りのときにも、緑に囲まれた店内にしたいという発想が生まれました。

わびを感じる

禅の話によると、10月が最もわびを感じる月だそうです。
今教えをいただいている武家茶道の先生からお聞きしましたが、お茶の世界では、11月が新年とのこと。
つまり、年の終わりの10月に儚さ、哀れみを抱く様をわびと捉えるのかもしれません。

気候変動が起こり、台風と雨が続く今の10月でどうわびを感じることができるのか?
ですが、そのような月だからこそ、わびを探してみるにはちょうどいいでしょう。

苔生すさま。
植物の色の移り変わり。
風の変化。

完璧ではないもの、不完全なものに美を見出すのは日本人元来の感性です。
完璧主義に陥らず、ふと目の前にあるものに美を感じてみる。美はそんな身近なところにあるのだと思います。

気温の変化に対応する

新しい店に移り、少しずつお客様にお越しいただいております。

20度を下回る日もあれば、25度と暑さを感じる日もあり、今の季節はなかなか洋服選びが定まりません。
ガチガチのツイードを着るにはまだ早いか。時期尚早。
そう思う季節です。

脱ぎ着ができる洋服がやはり便利になるので、わたしはこれからの季節はオッドベストを勧めます。

素材は暑すぎるものではなく、ウール、または三者混のもの。通年使える生地がいいでしょう。
色も奇抜なものではなく、グレー、ネイビー、ブラウン、ベージュ系。
ジャケットをもし着ていて、日中暑いなと思ったときに脱いでも、だらしなくなりません。

トラウザーズも、コットンか、ライトフランネルがこれからの季節に活躍します。

こちら、写真では青が消えてしまうのですが、左は少し青みがかったダークグレー。隣はブルーグレーです。どちらも厚みが300gmsを下回っている薄手のフランネルです。

こちらは左から、
伊アリストン社のコットンフランネル、
英ジョンフォスターのダークブラウンのウールフランネル、
ホーランド&シェリーのベージュのキャバリーツイル。

いずれもこれからの季節から、真冬まで対応できる生地です。

久しぶりにお作りしたレザースニーカー。
こちらはわたしが強く勧めているものではありませんが、革靴を履いて来ずに年を重ねた方、または革靴は履かないけど既製のスニーカーで納得のいくものがない。という方にはご提案しています。
ブラウンのスウェードにグレインレザーのコンビネーション。大人らしい渋さのある靴です。

この洋服を着てどこに行こうか

gotoにより、少しずつ遠くへ行こうか、という方も増えてきていると思います。
洋服の醍醐味は、飾って楽しむものではなく、部屋で一人ファッションショーをするためでもなく、この洋服を着てどこへ出かけようか、というところにあります。

この洋服が似合う場所に行こう。と、洋服がその場所へと運んでくれるのです。
今年の初めから鬱屈した気持ちがある方は、一度羽を伸ばして、自分の好きな服を着て、それが呼んでいる場所へ行ってみることをお勧めします。きっと人間であることに喜びを感じることでしょう。

わたしのお客様は、クラシックホテルに行く機会が増えたという方が多くいらっしゃいます。
高級なホテルではなく、全国にあるクラシックホテルを探して巡るのが楽しみだ。というのも、服に呼ばれて人生の過ごし方が変化した例ですね。

今はそんなホテルに行ってもジャケットを着ている人すら珍しくなってしまいましたが、周りと比べても意味がありません。自分らしい楽しみを見出そうじゃないですか。

前進していく世の中で思うこと

コロナをきっかけに、時代が2020年から一つ区切りがついたように思います。
クラシックスタイルが、今まで以上にクラシックに見えるようになってきています。
何気なく聴くジャズも、心なしか今までとは聴こえ方が違います。

わたしの感覚ですが、フランク・シナトラや、エラ・フィッツジェラルドなどのような名シンガーが、とても遠い人であったかのように感じてしまうようになりました。
(2人とも亡くなったのは1990年代とそこまで昔の人ではありません)

それだけこのコロナというのは、世界を強制的に前に押し進めたのでしょう。

世界がリモート、オンライン、と突き進んでいくなか、わたしが感じるのは、流れを自ら作って進んでいる人は、その生き方に満足していると思います。

しかし、その作られた流れに飲まれるように、沿っていっている人たちは、なにか不自然さがあります。

世界の流れと自分自身の流れは違って当然です。
世の中がこうだからこうだ。というように、自分のスピードをわきまえずに世の中に合わせてしまうと、足がもつれて転んでしまいます。
世界、世の中と自分は二人三脚ではありません。確実に独立した人間であるというところから、自分の性格、スピードを知ったうえで、進んでいく。
今回のように、時代が強制的に動いていくときは特に気をつけなくてはいけません。

常に軸には、自分自身の真理をもつこと。完成された美ではなく、不完全ながらも、長く残り続けるものを大切にしていきたい。

懐古主義である必要はありませんが、残していくものと、消えていくもの、創造されていくもの。それらのバランスを見極めて生きていきたいものです。

常に軸は自分に。
そしてすべてなすがままに。
Let it be。


Atelier BERUN
東京神楽坂のビスポークテーラー

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